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4月「きふとかんげん」

ざっくりとした割合として
100万円の商品が売れると,80万円は本社と工場に渡り,残る20万円が子会社に渡る。

子会社の下には孫会社が存在し,零細企業であることが多い。
とある授産施設では,エンジンとバッテリーを繋ぐケーブルにカバーを付ける仕事を請け負っていた。

工場では組み立てが行われているが,部品自体は子会社から納品されており,
子会社には孫会社が納品している。

例えば基幹産業である自動車製造。
様々な部品の集合体であり,一つ一つに人の手が掛かっている。

問題は,ケーブルにカバーを付ける仕事が出来高制だと言う事。
もう一つの問題は,子会社に渡った金額の内訳に,孫会社の給与も含まれている事。

仕事に見合った給与という考え方からすれば,一部品を納品するのと,自動車を一台組み上げること,
更に言えば時代を見越し,新しい自動車の在り方を検討することとでは,質が違って当然と言える。

が,生産台数を決めるのは本社であり,生産が無ければ部品は求められず,
仕事そのものが発生しなくなる。

消費者の需要に合わせて企業は生産するのだから,
これは消費者の想像力に任せるしかないのだが,

不景気のあおりを受けて苦しむ人間は,
その個人も含めた買い物に携わる姿勢そのものが生み出しているのだとも言える。

ノルウェーやスウェーデンのように,
高い税金と引き換えに社会保障制度を充実させている国とは違うので,一概には言えないが,
少なくとも仕事を選んだ時点で,人生の保障は決まっていくと言えるだろう。

努力すれば報われると言う人も居るが,
人間の能力には限界があり,何より個人差が大きい。

仕事を選ぶと言うけれど,選択肢は意外と狭い。
持って生まれた資質に差異がある以上,社会に貢献できる量と質には個人差が生まれる。
給与と言う形でそれは返って来るが,それで生き残れるかどうかは話が別だ。

仕事が発生するように,どんどん買い物をして経済を回すという考え方もある。

アフターファイブに居酒屋に集うのはまさにその典型で,
稼いだお金をすぐに社会に還元する点では,貯蓄はできないものの,経済は回って行く。
消費を生み続けることで,生産を引き出し,仕事を存続させ,社会を支えるのである。

が,使ったお金がどこに還元されるかを考える必要が出てきた。

上述の自動車の話で行けば,自動車の売り上げで成長するのはあくまで本社であり,
子会社孫会社の人間とでは,生活水準の差が広がっていくばかりである。

桁違いに本社が育てば,末端も続いていくだろうが,微々たるものである。

生まれながらにして,末端の仕事しか選ぶことの出来ない人間は,
社会保障がなければ生きることも難しくなる。

買い物をすることが企業を守ると信じていたが,成る程,
企業を守るという,まさにその意味では正しかった。

企業の仕事に従事する従業員までが守られる訳ではないのである。

社会貢献として同じ100万円を,施設へと寄付するのには,
そう言った理由があるのかも知れない。
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