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5月「うりてとかいて」

新事業の売り込みは、簡単なものではない。
目新しいものに対して好奇の目を向けるのは、意外にもごく少数に過ぎず、多くの人は保守的である。

世代間ギャップという話ではない。

個人の権利を声高に叫ぶようになった現代に於いても、
現状と異なる状態に対応するには、それなりの期間を要するという話である。

現状で事足りる、と言い換えても良いかも知れない。

生活パターンの変更には、それなりの労力を要するため、簡略化はあっても、
生活スタイルそのものを見つめ直すことはまずしない。

こうした買い手のニーズをどのように捉えて事業を売り込むのかに、売り手の手腕が問われるのだが、
どんな売り方をすれば、買い手のニーズに答え、利益を上げることができるのか。

それは買い手にとって魅力的な事業とは何かを考えれば済む話である。

簡略化、或いは利便を図ることが、第一の魅力である。

現状で事足りるという認識に対して、利便性を伝えて生活に溶け込ませ、
それらが必要であるという認識へと改めさせるのである。

魅力あるライフスタイルを新たに提示し、買い手がそれを目指すようにすれば良い。

起業とは、商品を売る土台を作るところから、既に開発が始まっていると言える。
これまで存在しなかった価値観を生み出し、必要感を生み出すところに、売り込みの要がある。

商品そのものが優れていても、ニーズに合わなければ商売として成り立たない。

買い手はあくまで生活者であり、ニーズを感じたものにのみ資金を投入する。
生活者である買い手にとっての第二の魅力は、商品の魅力に見合う価格の設定である。

価格競争が成立するのは、異なる業者が似たような性能の品物を売る際、
買い手を引き込む手段として値下げを用いる為である。

必要感を生み出した商品でも,かつては無くても困らなかった物である。
従って、有ると便利だけれど高いなら買わないという選択肢も有り得る。

そこで、この価格なら買っても良いと思える設定が求められることになるのだが、それは各社共通である。
そこで量販店の出現なのだが、企業も生活が掛かっているから、やみくもに低価格は設定できない。

そこで必要なのは、価格に見合う魅力、商品価値をもたせることである。

新たな市場を開拓し、必要感を生み出した上で、商品の価値を高めることが、
開発経費の回収も視野に入れた適正価格を保つ条件である。

しかしながら、低価格なら売れるという勘違いをして、コスト削減に奔走したのが近年の先進国である。

人件費の安い国に工場を置き、
製造コストを削減することで価格を下げた商品を輸入する策に走ったのである。

低価格で必要な商品が流通することの何が問題かと思われるかも知れない。

ところで買い手とはどんな人たちだろうか。

売り手の一人として労働を対価に賃金を得ている人たち、
或いはその税収によって暮らしを立てている人たちである。

では労働の機会をどこで得るのか。生まれ育った国である。

低価格のみを目指すことの問題はここにある。

国外で生産された低価格の商品に対して投入された資金は国外へと流れる。
言うまでもないが、それと同等の製品を国内で生産すれば、結果的に価格が跳ね上がることになる。

国内で生産した場合の適正価格が、国外で生産することにより、崩壊するのである。
こうなると、あとは悪循環である。

買い手が安いものを求める限り、生産は国外で行われる。
それは国内に於ける労働機会の縮減を意味し、市場が冷え込む。

こうした事態を予見せず、徒に低価格を目指した企業を悪者にするのは簡単だが、
低価格を求めたのは売り手ではなく買い手である私たちである。

日々の労働の対価として賃金を得て、ささやかな倖せを求めることに、何一つ悪いことなどない。

しかしながら、買い手としての自覚に欠けて暮らすことは、
事業を開発する売り手に対し、誤ったニーズを提示することになる。

現状を維持するにせよ、新たなライフスタイルを目指すにせよ、
売り手買い手双方に、目指すべきビジョンが必要である。

それは、目の前の暮らしの延長上に、未来を見据えることである。
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