8月「きれいなくらし」
「トイレに置いて流すだけ」
その謳い文句と共に、掃除の手間が省けるからと勧められて、我が家にも、
某製薬会社の水洗トイレ用芳香洗浄剤が置かれることになった。
我が家には既に「拭いて流せる」除菌シートなるものが用意されて久しいが、なるほど、
使用する度に水を流すという、水洗トイレの仕組みを考えれば、合理的であることこの上ない。
水洗トイレ自体も、非常に画期的なアイデアであったが、
流す水自体を洗剤にしてしまうとは、なかなか考えたものである。
このアイデアに乗る企業は多く、やれ○○の香りだの、やれ交換用だのと、
今では多種多様なタイプが市場に溢れている。
そんな芳香洗浄剤であるが、消耗品であるから、定期的に買いに行かなければならない。
買い物は月に数回のことで、この洗浄剤も一ヶ月程度で交換する物である。
そのついでに買えば良さそうなものであるが、保存が効くものであるので、
数か月分まとめ買いしていた。それが無くなる頃のことである。
買い置きがあったから安心していたのだろう。
迂闊にも、最後のパッケージをゴミに出してしまった私は、
間違えて他の企業のものを買ってきてしまった。
付替えた時には既に遅く、差込口の型が合わずに洗浄液が駄々漏れで、
しかし蓋を出来るものでもなく、止む無く設置。その日の内に液は無くなってしまった。
とは言え、元々は拭き掃除で対応していたものであるから、
便利ではあったものの、直ぐに困るようなことはない。
次に買いに行くときまで、元々の方法で掃除すれば済む話である。
そう考えて、気を取り直す私であった。
それにしても、流すだけで汚れが落ちるとはどういうことだろうか。
水周りを掃除する目的としては、
見た目と香りが人にとって良好な状態が保たれることを意味する。
汚れを落とすというのは、人にとって見た目が美しい状態である。
汚れこそ落とさないものの、消臭剤や芳香剤がトイレに置かれることが以前からあったのは、
香りへの配慮からである。
汚れは排泄物自体を指すので、洗い流せば済むものであるが、
香りは、それらが自然分解される過程で生まれるものである。
こちらも洗い流せば済むものであるが、発生時に対応すべく生まれたのが芳香剤である。
わが国でも香を焚く習慣があったが、人にとって不快に感じられる香りに対し、
より強く、好ましい香りを用意して対応したのである。
衛生的に見て、素早く掃除をするに越したことはないが、
快適な生活を手軽に持続させたいのは、世の常であるようだ。
さて、そんな芳香剤だが、今では洗浄液の役割を兼任している訳である。
除菌シートの場合、芳香剤も含んでいるが、除菌(又は殺菌)することによって、
細菌による分解そのものを抑止し、香りの発生を抑える力をもっている。
洗浄剤の方は、汚れを分解して洗い流しつつ、芳香剤として機能している。
除菌(又は殺菌)するか否かはともかくとして、
水周りが綺麗に保たれるのは人にとって心地好いものである。
しかし、ではそのようにして手軽に洗い流された水、
生活排水はどこへ行くのだろうか。
下水道が整備された現代に於いて、
私たちがそれを目の当たりにする機会は少ない。
人の排泄物に加えて、芳香剤と、除菌(又は殺菌)剤、加えて、
汚れの分解に用いられる界面活性剤が、排水として、各家庭から流れ出ている。
環境への配慮から、ここに挙げたものは全て人工的に、
或いは自然に分解されることになっている。
インターネット上で、洗剤による肌荒れが、
河川の汚染以上に心配されるという珍事もあったが、
どちらでも影響は考慮されつつ、毒性については否定されている。
が、使用上の注意にもあるように、全く無害であるとも言い切れない。
人の作り出した汚れを全て抱えた液体が、
生活排水として自然界に流れ出ているのは間違いがないのである。
人の暮らしを自然と切り離して論じるのはどうかとも思うが、
洗剤の使用をどうこう言う前に、
人の暮らしのあり方そのものが、
既に生態系を脅かしているという自覚が必要なのかも知れない。
レッドデータブックが、今年も更新された。
世間では、核施設の再稼動、軍備に向けた憲法改正、
環太平洋パートナーシップの話題が盛り上がっている。
私たちの暮らしの足元で、何が起こっているのかを、真摯に受け止めて、
未来に向けて行動したいものである。
その謳い文句と共に、掃除の手間が省けるからと勧められて、我が家にも、
某製薬会社の水洗トイレ用芳香洗浄剤が置かれることになった。
我が家には既に「拭いて流せる」除菌シートなるものが用意されて久しいが、なるほど、
使用する度に水を流すという、水洗トイレの仕組みを考えれば、合理的であることこの上ない。
水洗トイレ自体も、非常に画期的なアイデアであったが、
流す水自体を洗剤にしてしまうとは、なかなか考えたものである。
このアイデアに乗る企業は多く、やれ○○の香りだの、やれ交換用だのと、
今では多種多様なタイプが市場に溢れている。
そんな芳香洗浄剤であるが、消耗品であるから、定期的に買いに行かなければならない。
買い物は月に数回のことで、この洗浄剤も一ヶ月程度で交換する物である。
そのついでに買えば良さそうなものであるが、保存が効くものであるので、
数か月分まとめ買いしていた。それが無くなる頃のことである。
買い置きがあったから安心していたのだろう。
迂闊にも、最後のパッケージをゴミに出してしまった私は、
間違えて他の企業のものを買ってきてしまった。
付替えた時には既に遅く、差込口の型が合わずに洗浄液が駄々漏れで、
しかし蓋を出来るものでもなく、止む無く設置。その日の内に液は無くなってしまった。
とは言え、元々は拭き掃除で対応していたものであるから、
便利ではあったものの、直ぐに困るようなことはない。
次に買いに行くときまで、元々の方法で掃除すれば済む話である。
そう考えて、気を取り直す私であった。
それにしても、流すだけで汚れが落ちるとはどういうことだろうか。
水周りを掃除する目的としては、
見た目と香りが人にとって良好な状態が保たれることを意味する。
汚れを落とすというのは、人にとって見た目が美しい状態である。
汚れこそ落とさないものの、消臭剤や芳香剤がトイレに置かれることが以前からあったのは、
香りへの配慮からである。
汚れは排泄物自体を指すので、洗い流せば済むものであるが、
香りは、それらが自然分解される過程で生まれるものである。
こちらも洗い流せば済むものであるが、発生時に対応すべく生まれたのが芳香剤である。
わが国でも香を焚く習慣があったが、人にとって不快に感じられる香りに対し、
より強く、好ましい香りを用意して対応したのである。
衛生的に見て、素早く掃除をするに越したことはないが、
快適な生活を手軽に持続させたいのは、世の常であるようだ。
さて、そんな芳香剤だが、今では洗浄液の役割を兼任している訳である。
除菌シートの場合、芳香剤も含んでいるが、除菌(又は殺菌)することによって、
細菌による分解そのものを抑止し、香りの発生を抑える力をもっている。
洗浄剤の方は、汚れを分解して洗い流しつつ、芳香剤として機能している。
除菌(又は殺菌)するか否かはともかくとして、
水周りが綺麗に保たれるのは人にとって心地好いものである。
しかし、ではそのようにして手軽に洗い流された水、
生活排水はどこへ行くのだろうか。
下水道が整備された現代に於いて、
私たちがそれを目の当たりにする機会は少ない。
人の排泄物に加えて、芳香剤と、除菌(又は殺菌)剤、加えて、
汚れの分解に用いられる界面活性剤が、排水として、各家庭から流れ出ている。
環境への配慮から、ここに挙げたものは全て人工的に、
或いは自然に分解されることになっている。
インターネット上で、洗剤による肌荒れが、
河川の汚染以上に心配されるという珍事もあったが、
どちらでも影響は考慮されつつ、毒性については否定されている。
が、使用上の注意にもあるように、全く無害であるとも言い切れない。
人の作り出した汚れを全て抱えた液体が、
生活排水として自然界に流れ出ているのは間違いがないのである。
人の暮らしを自然と切り離して論じるのはどうかとも思うが、
洗剤の使用をどうこう言う前に、
人の暮らしのあり方そのものが、
既に生態系を脅かしているという自覚が必要なのかも知れない。
レッドデータブックが、今年も更新された。
世間では、核施設の再稼動、軍備に向けた憲法改正、
環太平洋パートナーシップの話題が盛り上がっている。
私たちの暮らしの足元で、何が起こっているのかを、真摯に受け止めて、
未来に向けて行動したいものである。
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